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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.116 転びキリシタン
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会会長 )
 20年くらい前だったか知人から、椎葉村の不土野神楽は隠れキリシタンの神楽と聞いたが本当かと訊かれた。県内神楽は神道または神仏混淆で斎行され、不土野神楽は何回も観ており、キリシタン信仰を想起させる要素は全くなく、知人の質問は否定した。

 後年、不土野神楽に「正助叔父御の神楽」があることに気づいた。「隠れキリシタンであった正助の無事を祈願する神楽であったが、その後も後裔である那須松佐家からの申し入れで舞った。この時は焼酎二升程が奉納された」(『椎葉神楽調査報告書第二集』)とあり、質問はこのことだったのかと納得した。

 椎葉神楽に限らず、神楽には何かを祈願する演目がありそれを「願」神楽というが、不土野神楽には焼畑農耕を行っていた頃、危険な大木の枝おろし作業の安全を祈願する「木おろし願の神楽」、放牧場での安全を祈願する「牧の願の神楽」、猪の豊猟を祈る「猪とり願の神楽」があった。
 保存会に訊くと現在は「正助」や「木おろし」などの祈願は行われていない。また、これらの祈願神楽は他と異なる特別な演目があるのではなく、どの祈願も「一こうや」を舞っていたといい、隠れキリシタンのための演目はないということだった。

 貞享4年(1687)8月24日、先年、高鍋藩野別府(高鍋町)の百姓蔵之助が大坂天王寺で雇った長兵衛という者が、「キリシタン転び」の者であったことが判明。公儀が取り調べるということで大坂蔵屋敷へ出頭するように知らせがあった。
 キリシタン転びの長兵衛一件に遡る51年前の寛永13年(1636)7月9日、高鍋藩の飛び地福嶋郷崎田村(串間市)の百姓善四郎が、イタリア国の伴天連(バテレン・神父)を捕えた。泥谷監物と入江角右衛門が召し連れ長崎奉行所へ渡した。(『高鍋藩本藩実録巻之三』) 
 イタリアの伴天連捕縛は、天正15年(1587)に豊臣秀吉がキリシタン信仰禁止、伴天連追放を発し、高鍋藩は伴天連を見つけ次第知らせることを命じていたことによるもので、善四郎には褒美として銀子が下されている。

 寛永14年(1637)天草(熊本県)や島原(長崎県)の百姓が増田四郎時貞(天草四郎)を首領として大反乱を起こした。天草や島原は元来キリシタン信仰が強く、幕府の禁教政策に対する不満と島原領主の過酷な政治が重なり10月不満が爆発した。いわゆる島原一揆である。
 同年11月、高鍋藩は島原一揆鎮圧に秋月又左衛門を大将として物頭臼井源太夫、坂田宮内、入江角右衛門それに鉄砲で武装した歩行と足軽100人を派兵した。(『高鍋藩本藩実録巻之三』)

 ところで、転びキリシタンとは役人の厳しい拷問に耐え兼ねて信仰を自ら否定した者を言い、また、マリア像などの踏み絵を踏み、如何にも信仰を捨てた、転んだと振る舞うが、密かに信仰を続ける者いわゆる隠れキリシタンもいた。

 元禄元年(1688)と翌年、高鍋の平田浜に唐船漂着があり、元禄2年4月には隣藩である人吉藩相良領内で山稼人徳兵衛という者が隠れキリシタンと分かり、長崎送りとなった。この者は大坂生まれであったが11、12年前から球磨山中に杣人として過ごしていた。あるとき長崎に出かけ密かにキリシタン信仰を勧めて捕縛された。杣人として日向の奥山、米良や椎葉の山中を渡り歩いていたことから、深山連なる九州山地の山方に同類ありとみて、高鍋藩でも俄かにキリシタン探索を始めた次第であった。(『宮崎県近世社会経済史』)
 人吉藩には、江戸老中より「椎葉山の事、其方支配仰せつけらるる上は、先年より度々仰せ出だされ候切支丹宗門の儀、堅くこれを相改めらるべく、他所の輩これを差置くべからず云々」との通達があった。

 江戸幕府によるキリシタン信者の追及は厳しく、秘境と言われた米良や椎葉まで探索の目が注がれた。東・西米良は米良山、椎葉は椎葉山と呼ばれ幕府領であったが、遠隔地であるため人吉藩(熊本県)相良氏が治めていたことから、江戸老中からキリシタン探索の文書が届いていたのだ。

 話を冒頭の不土野神楽に戻す。幕府の飽くなきキリシタン追及を逃れて、正助は椎葉山中に樵夫となって潜んでいたが、時代がかわって信教が自由となり正助の子孫那須松佐家が願神楽を奉納していたのだろう。

※キリシタン禁制:近世、キリスト教を日本統治体制の害悪として排斥する政策。豊臣秀吉の伴天連追放令、江戸幕府の禁教令、宗門改制、明治政府に踏襲された邪宗門禁制など。1873年に解禁。(『広辞苑』)
参考資料 『椎葉神楽調査報告書第二集』椎葉村教育委員会 小寺鉄之助『宮崎県近世社会経済史』宮崎県史料編纂会 『宮崎県史料第一巻 高鍋藩本藩実録』宮崎県立図書館
2019-07-23 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと)
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。現在、宮崎民俗学会会長、宮崎県立博物館協議会会長、
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会副委員長、(県)伝統工芸品専門委員、
(県)神楽保存・継承実行委員、「米良山の神楽」記録作成調査委員

【著書】
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』 (鉱脈社)、他

【共著】
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史』
『北浦町史』
『日向市史』
『みやざきの神楽ガイド』
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